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DQNを作り出す環境

大分下火にはなってきてますが、秋田の事件が毎日報道されてるのを見ると秋田県人として思うところも少なくないわけで。

事件が起きたのは藤里だったと思うんだけど、鈴香被告の実家の団地とか、近くの川とか、住民の人とかがテレビに映る度に既視感を覚える。あれは藤里だけでなく、秋田市以外の田舎ならどこにでもある普通の光景だよ。商店街は平日でもみんなシャッターが降りていたり、駅が無人だったり、病院の評判が日常会話のメイントピックスだったり、そんな田舎に帰るといつも感じる閉塞感をテレビの向こう側にも感じたりするわけ。

加えて週刊誌情報だけど鈴香被告も子供の頃親に育児放棄されていたらしい。どっかで鈴香被告の高校の卒業アルバム見たけど、こういうのが許されるコミュニティに責任を追及するのは見当違いとは必ずしも言えない。

人の性格なり倫理観なりは周りの環境要因で形成されることがほとんどだと思う。生まれたときからDQNになることが決まっていたとしたら、どう生きていけばいいのだろうか。

と思うとワーキングプア以下のどん底からはい上がる人たち

子供たちは、誰かがなんとかしてくれることなんて、期待しちゃいない様子だった。守ってくれるものもなく、ろくなものを食べず、ろくなものを着れず、ろくな場所で眠れず、ろくな情報を得られない、八方ふさがりで自殺するしかなさそうなどん底にありながら、それでも、泣き言を言わず、言い訳をせず、現状を打開するために、シビアに情報収集し、分析し、組織を作り、ビジョンを構築し、具体的な行動計画を立て、試行錯誤を繰り返しながら、自分の未来を切り開いていく。

みたいなことも確かに存在するわけで。

未来という言葉。光はどっちに差してるんだ?

結局何が言いたいのかよくわからないな。ちょっと自分に酔った・・。