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同じ院生であっても

1.まずは枕詞。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

ダンテの神曲からの引用がこんなにふさわしい場所というものを、僕は他に知らない。文系大学院に入る人は、全ての希望をまずは捨て去らなければいけない。研究が出来るということ、知的興奮に身を浸せるということ、これは確かに何にも変えがたい喜びではあるんだけれども、それが「金」や「仕事」に極めて結びつきづらいのが文系の研究なのだ。入学式が終わり、初めて学科別の共同研究室に招かれ、出来立ての学生IDを渡された際に、学科主任の開口一番の台詞を僕はいまだに忘れられない。「まあ、卒業しても、とりあえず普通の仕事はないと思ってください。」

はてなダイアリー

政治性を持たない業績を評価する「他の人」が少なくとも学内に存在しなければ、修士論文レベルでは文系でも理系でも政治性から自由になることなど出来ない。理系の最先端レベルで、業績を評価できる人間が政治文脈から独立に存在するほど甘くはない。「それが白である証拠がきちんとありさえ」しても、その証拠を白だとわかる人間が政治的文脈から離れて存在しなければどうしようもないのである。

理系は楽園ではない-捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!

僕の教授は研究に関して本当に情熱的で、当然厳しくもあるけれど、それはあくまで技術的な問題に対しての厳しさなのであって、学生個人の人間性を否定するものではない。そのことに対して僕は本当に感謝しているし、そんな先生を尊敬している。本当に運が良かった。勿論苦しいことはたくさんあったけれど、総合的に判断して先生の下で研究することが出来て、本当に良かったと今は言えるような気がする(きちんと卒業させてくれれば)。

どの教授につくか、っていうのは本当に重要な問題なんだけれど、当たりを引くかはずれを引くかはやってみなければわからない部分が実際大きいように思う。ある程度下調べをすることは出来るけれど、表向きの顔と内部向けの顔を使い分ける人だってたくさんいるし、それだけで判断できるわけではないから。

そういえばこんな話もある。

私は、学会新人賞をとったぐらいなのだから、博士号をとったあと、息子が大学に残り研究職をつづけるか、あるいは企業の研究所で研究をつづけるか、そうでなければ高級技術者として工場で働くか、先は大丈夫だと思い込んでいました。理工系ですから、研究室の教授が、助手に残れといってくれるか、他の大学や研究所を世話してくれるか、企業に推薦状を書いて就職の面倒を見てくれるものと思っていました。
しかし、その期待はみごとに裏切られてしまったのです。教授は息子の将来について何も言ってくれなかったし、何もしてくれなかったのです。研究室は、教授、助教授、助手とすでにいっぱいです。自ら職を失ってまで、息子を助手にすることなどできないのかもしれません。他の大学も同じで、少子化で学生が集まらず大学破産が叫ばれている状態ですので、東大院卒ならまだしも、ちっぽけな他の私立大学出身の「博士卒」など受け入れる余地はありません。教授は、何も言わなかったのではなく、この大学の現状では何も言えなかったのでしょう。

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機械・電気電子など仕事に直結する分野以外は博士号が就職の妨げになるという事は事実なのだろうと思う。企業の賃金体系の中でのポジションが微妙とか、いろいろな理由があるにしろ、それは事実なのであって、やはり「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」ということになってしまうんだろう。

当たった教授によって人生までもが決まってしまうことや、修士論文の評価に政治的な力関係がどうしても絡んでくること、(博士課程で十分な実力を身に付け、企業や大学が望むスキルとのマッチングも取れている場合の)博士が正当に評価されないこと。僕だってそういういろいろな不条理に対して現状このままでいいのかとは思う。でも僕に何が出来る?僕に出来ることはこの世界とか現実をなるべく正確に把握して、自分の選択肢を考えて、なんとかサバイブして行くことしかないんじゃないか。世界を変えるより、自分を適応させることじゃないのか。

これまでずっとそういう風に考えてきたし、今でもそう思うんだけど、そういう考え方が自分の可能性というか、視野を狭めているんじゃないか、限界を自分で規定してしまっているんじゃないか、という事も最近思う。本当に重要なものは流れに逆らわないと分からないんじゃないかとか、そういう姿勢に人の心は動くんじゃないかとも思う。よく分からない。