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教師だけどさ

東京都新宿区立小学校の新任の女性教諭(当時23)が昨年6月、自ら命を絶った。念願がかなって教壇に立ち、わずか2カ月後に、なぜ死に至ったのか。両親や学校関係者に取材すると、校内での支援が十分とはいえないなか、仕事に追われ、保護者の苦情に悩んでいた姿が見えてくる。

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これをうけて、また衝撃的な内容の文章が。

今日の文章は、友人がかつて自分のブログに掲載した記事を、彼の許可をもらって再掲したものになる。先日「文科系大学院の歩き方」という記事を僕のブログに載せたが、その文章を書いたのと同じ人物が、かつて以下に転載する文章を書いた。彼は大学院を修了した後、とある高校の教師として赴任することになった。大学院出の人間の多くが、こうして終了後に高校や大学の非常勤をしながら糊口をしのぐことになるのだが、彼もまたそのような道を選んだのだ。それまで塾や家庭教師を経験していて、幾分は「教えること」に自信を持っていた僕の友人だったが、彼が着任した高校で経験した一年目の実情は、そんな彼のささやかな自負を打ち砕く、ほとんど筆舌に尽くせぬ苦悩とストレスと絶望に満ちていたのだった。一年目が終わったとき、彼はそれを体験記としてネット上に公開した。当時も今と変わらぬ教育の疲弊が問題になっていたが、この自殺した女性教員の記事などを読むにつけ、今はあの時以上に、問題の所在と深さがより一層明白になってきつつあるように思う*1。ここに再掲する文章が、再び読まれる価値も、幾分かはあると僕は信じている。

はてなダイアリー

とりあえずリンク先を読んでみて欲しいんだけれど、ここに書かれていることが本当に事実だとしたら、と思うとなんともやりきれない気持ちになる。これは特別ひどいケースだということは想像できるけど、実際にこういうこともあって、しかも中位校でこの有様なのだとしたら、いわゆる底辺校に勤める教師は比喩抜きにして命の危険に晒されながら仕事をしなければいけないことになる。

高校の同級生の中には秋田に帰って講師をやりながら教員採用試験を受ける、という選択をした友達が何人かいて、彼らの事を思い出さずにはいられない。どうだろう、都市部と田舎では子供の質も変わってくると思うし、それこそ秋田で、という事を考えれば、秋田の子供達には引用元の文章を読んでいて感じる邪悪さや悪意みたいなものは無いような気がするけれど、それも僕がある程度の進学校にいたからなのかもしれないし、そういう環境が全く無いとは言い切れないと思う。

ただでさえ田舎の教員採用試験は厳しい。特に秋田県の場合、子供が減っていることもあって倍率は20倍近い*1。それに受かったとしてもこういう現実が待っていて、それでも教師になりたいという人はたくさんいて、みたいなことを考えると複雑だ。僕の友達たちはそんなことはないと思うけれど、少なくともこれから「逃げ」の選択肢として教師という職業を選ぶことは逆にリスキーなんじゃないかと僕は思うんだけど。

あといつも思うのは大学出たての22とか23の人間に「センセイ」っていうレッテルを貼るのがそもそも間違ってるっていうこととか。良くも悪くも百戦錬磨の親御さんに、こないだまで学生だったそれぐらいの歳の人間が対抗できるわけないし、「社会に出てから勉強が役に立つんですか」みたいな問いに社会に出たことない教師が説得力のある答えを返せるかというと疑問符だし。民間から教員、または教員から民間の移動がもうちょっとスムーズになるような仕組みってないのかな。

大学だと最近民間出身の教授も増えてきてるし、それがプラスの方向に作用してるように感じるんだけどな。

*1:[http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/12/06121109/002.htm:title]