bookbridge's Blog

Gadget, Interior, Renovation, and so on

選挙とか

今日は大学のオープンキャンパス。天気はぱっとしない感じではあるけど、外には制服の高校生がぞろぞろ歩いてます。毎年M1が対応にあたることになってるので、僕らは全くやることも無く、先生もいないので研究室は閑散としてる。なので普通の日記でも書こうと思います。

昨日はご存知のとおり選挙だったんだけど、投票所が家の向かいの女子高なので中身が見たいっていうモチベーションもあり、投票に行き、ドラクエを進めた。途中ちょっと疲れてNHKを見ていたら、菊地成孔がマイルズ・デイビスの音楽的は変遷を語る、って言う番組があってこれがすごく良かった。僕はジャズに造詣が深いわけじゃないし、マイルズ・デイビスのことだって名前を聞いたことがあるぐらいだけどすごくわかりやすくて質の高い番組だった。NHKはこういう番組を普通に作ってくるから批判しにくいよな、と思う。

8時を過ぎてからは開票速報各局ザッピングしながら一人で飲んでたんだけど、選挙ってエンタテイメントだよね、ってか、エンタテイメント以上の意味を持てないなーと。こう書くと政治に関心の無い若者みたいな感じだけどね。確かに選挙には行ったし、結果にも興味はあるんだけど、自分の実生活に対してすぐに影響が現れてくるわけじゃないし、そこらへんのスピード感みたいなものが無い以上、結局自分で何とかするしかないんだろうな、とか思ってしまう。

もっと歳をとったら、つまり今の自分の親ぐらいになったら政治に期待するものがあるのかもしれない。それぐらいになったら自分の努力とか能力で選べる選択肢ってだいぶ減ってきてるだろうし、それ以外の外的な要因で生活が良くなるとしたら、って考えるとそれが政治っていうことになるんだろうな。どういう理由にしろ、選択肢を多く持てない人を何とかなるようにするのが社会保障とかの根っこになってる考えかたじゃないかと思うし(ここんとこは適当、間違ってたらごめんなさい)。そういう意識が年齢層別の投票率分布があんな感じになってる理由のひとつかもしれないね。


選挙に投票行く人間ってのは、リテラシーが高い。国民の半数近くは、投票行動を起こさないし、その半数は政治に興味ないとか、政治に参加できない。そのこと自体が格差で、候補者が訴えかけた有権者というのは、格差社会の中より上の方。その人たちが考える「格差」って、現実の格差とギャップがあって、それに一票投じてたら、格差社内はより深刻なもんになるんじゃないんかなーと。極端な話だけども。

なんつーか、現在の社会問題の渦中にいる人間には、政治家のメッセージは届いていないし、逆もまたしかりで、すごい空しい。入院費用が出せずに死ぬ人、生活保護を受けられずに一家心中する人、そんな人に声なんか届いてないから。空しい。

犬と箸

結局こういうことなんだろう。

話は変わるんだけれども、


おセンチついでに書くと、わたしは「つくる」を仕事として選ばなかった(選べなかった、とどちらも)。自分の選択は絶対に間違ってはいないと思うけれども、その「つくる」を仕事にしようと踏み出して行った人たちを見ると、何というか、嫉妬でも後悔でもないけど、うーん、単純にイイナアと思ってもやもやする。わたしには「つくる」才能はないことは結構昔から自覚しているから自分でも何を今更って感じなんだけどね。でも「つくる」才能が「つくる」を仕事にした場合に本当に必要なのかどうかを考えたときに、必ずしもそうではないということに遅まきながらもやっと気付いてきたから、納得できていない部分があるんだと思う。いやでも、わたしは「つくる」才能より「見抜く」才能のほうに憧れてきたし、そしてそこに近づくための努力は(努力ってほどのモンじゃねーけど)してきたとは思う。そしてそれがわたしが踏み出そうとしている領域の仕事に活かせないかと言ったらそれは絶対に違う。大体、「つくる」は仕事じゃなくてもできる。とにかく月並みな物言いだけど、色々な選択をするにあたって悩んだそのときそのときの自分を信じて、目の前にあるものに精一杯ぶつかって行くことができれば、自分の好きなこと・自分にふさわしいものにうまいこと繋がっていくんだってことを忘れちゃいけないしそれで焦っちゃいけないよってことですなぁ。うーんもやもや。でもがんばろ。

:: Love Me Tender ::


を読んで超共感。まぁ恋愛でも仕事でも何でもいいんだけど、そうやってもやもや考えながらやってかなくちゃいけないんじゃないかな、と思う。理性と直感、みたいなものなのかもしれないけど、そういうのを突き合わせてバランスをとりながら考えてく事が大事なんだろうな。そういう意味で悩むことを恐れる必要なんて無いんだろうし、そういう自分を否定する必要も無いんだと思う。自分はしょっちゅうそういうことで「悩んでいる自分」に悩んでしまっているけれども。