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想像力の格差


格差の固定化って、だからたぶん、努力するための資本がないとかいうことだけじゃなくて、
努力すれば格差を縮めたり、乗り越えたりできるかも、なんて本気で考えることができないような、
そういう環境の中で育つ、ってことでもあるんじゃないかなぁ、と。

努力すれば格差が乗り越えられる、なんて思いつかなかった


「裕福でないと大学にいけないという幻想」というのは分かる。努力すれば行けるだろう。
しかし自分が大学へ進むべきかをだれが判断できるのだろうか。ぼくは自分が大学に行く姿なんか想像も出来なかった。理数が得意だから工業高校が良いだろう。それだけですよ。高校を卒業しても半数は貧乏農家を継ぎ、残りは工場で交代制勤務。運が良ければ役所に勤める。

格差なんてものは十数年前からぼくの田舎では固定化されていたんですよ。

re:努力すれば格差が乗り越えられる、なんて思いつかなかった

自分も田舎生まれ田舎育ちだし、実家のほうは小さい頃はそうでもなかったものの最近はいわゆる格差のあおりを直接的に受けてるので感覚的に理解できてしまう部分が多い。今思えば中学生ぐらいの頃はどれだけ努力すればどれだけのものが見えるのか、どれだけのものが得られるのか分かっている人は大人含めて殆どいなかったように思える。高校にあがってからも周りには努力している人もたくさんいたけれど、それは単なる優越感ゲームでしかなかったように思う。

勿論自分にも何も見えていなかったし、今何かが見えているわけでもない。単純にここまで流れてきただけだ。別にどちらが優れているという事を言いたいわけじゃない、でも僕と地元に残った友達を分かつものってなんだったんだろうなと思う。周りより少しだけ勉強が出来て、そういうゲームを楽しめたから、だったんだろうか。確かにちょっとは努力もした。でも、努力したらすべては乗り越えられるんだから、今日常に不満を持ってる奴はすべからく努力が足りないんだ、とは僕には絶対言う事は出来ない。

生まれた地域や家庭の裕福さによって、想像の及ぶ範囲は限られる。それがいいことなのか悪いことなのかはよくわからないけれども。ただ、選択肢だけは平等にあたられるべきなんじゃないか。べき、だけど。


結局、人間は社会に縛られる。それはしょうがない。誰かが悪意を持って情報を隠しているわけでもない。多分こちらから聞きに行けば喜んで教えてくれただろう。でも私はそうしなかった。想像力が足りなかった。想像力が足りない自分が「悪い」わけじゃない。ただ運が悪かっただけだ。それでも、そういう運の良し悪しも含めて自分の人生なわけで、それを嘆いても始まらない。架空の「すべてをコントロールするエリート」をでっち上げて彼らのせいにしたって虚しいだけだ。

格差と想像力