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また博士とかの話

博士前期への進学などと博士後期への進学は次元が違う。

「博士後期へ進む」って言うのは、「就職する」とか「進学する」なんて意味での「進路」ではなくて、「小説家になる」だの「スポーツ選手になる」だの「ミュージシャンになる」ってのと同じく「研究者になる」って選択肢へ進むためのルートであって。

そのリスクの高さも、ここにあげたような選択肢と大して変わらない*1。

「就職しようかな、それとも進学しようかな・・・」ってレベルで視野に入れていいような選択肢じゃない。

っつーか、結婚して、子ども作って、家を建てて幸福な家庭を築いて・・・っていうような、人並の人生とか人並の幸福を得たい人は博士後期には進むべきではない。

もちろん中には人並の幸せを得られている人もいるんだろうけど、それは限られた幸運なケースだと最初から割り切っておけるくらいの覚悟がないと・・・そこが割り切れないなら、普通に学部卒や修士卒の段階で就職活動して、仕事に就いた方がいいだろうと思うし、その方がたぶんまともな人生を歩めるんじゃないかと思う。

元より「博士後期に進む」って決めた時点で人並の人生も幸福も期待なんかしてない - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

結局問題の根本は大学院重点化という名目で大学院生の定員は増え、博士もコモディティ化したんだけど、彼らの受け皿の事までは考えてなかったという、傍目に見れば単純なこと。

そういう現状に対してどう適応してくかって考えたら引用先みたいに考えるのがベターだっていうのは分かる。でもやはり人並みの人生とか人並みの幸福を得たいとか、そのレベルの願望すら持てない厳しさがあるんだとすれば、それはやっぱり制度設計に問題があるんだと思うんだけどな。引用先の人も当然それは分かっているんだろうけどね。

個人の幸せとか、そういう問題も問題だけど、マクロな目で見ても国力みたいなものに直接的に関わってくると思うし。それなりに税金を使って教育を受けた、相対的に「優秀」であると思われる人たちがコンビニでレジ売ってるっていうのはなんだかなぁという気がする。そういう意味ではやはり博士課程をミュージシャンとか小説家と同列に考えちゃいけないんじゃないか、と僕は思う。



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