bookbridge's Blog

Gadget, Interior, Renovation, and so on

今日のポエム

“鋭敏な感覚”を持つ人というのは人生がつらいと思う。特に若い時はそうだよね。他の人が何も感じないことにこの世の矛盾が凝縮しているように感じるし、何気ない他人の言葉や表情の中に、絶望的な拒絶や身勝手な横柄さ、救いようのない愚かさを見た気になる。そして一人で奈落の底まで落ち込んでいったりする、でしょ。

なんだけど、そんな人も年齢を重ねるごとに少しずつ愚鈍になる。誰でもそうなるし、否応なくそうなる。そしてそれはものすごく幸せなことだ。

愚鈍なる人生の安逸 - Chikirinの日記

はっとしたね。最近ぼんやり幸せだな俺ってなんて考えてる自分がいることとか、ちっちゃい頃はもっと世界をビビットに感じられてたなとか、そういうことを言語化されると急に霧が晴れた感じになって、少々落ちた。

子供の頃自分は何にでもなれると思っていた。歳をとるにつれて自分の進み得る道はだんだん細くなっていくし、広い世界に出ていろいろな人に会えば自分がただの人だということも嫌というほど思い知らされたけれど、だんだんそういう自分を肯定できるようになって、というか嫌でも一生こいつとつきあっていかなければいけないんだ的な諦めができてきて。

何かを成し遂げるひとってその人自身の感覚として自分は幸せだとは感じないんじゃないかと思う。

人生も世界も圧倒的なレベルまで偶然に支配されていると気づくと、考え悩むことの無意味さもわかる。人生をかけて考え尽くすべき深遠なテーマだと思ったことさえ、あまりに単純な原則の上に成り立っていると見えてしまったりね。

愚鈍なる人生の安逸 - Chikirinの日記

これも多分真理なんだろうけれど、それを認めつつも抗う人が何かをなしとげるんだろうな。

自分は愚鈍な人間だし、人生は偶然に支配されている、と。で、俺は明日からどうすんだ、と。